GREEN COLLEGE SINGERS(シングアウト・SINGOUT)

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更新日 : 平成24年1月14日(土)

三上さんからの手紙

我らが「駒澤大学軽音楽部フォークソング研究会」の創立者である、第1期の三上和夫さんから、事務局へお手紙をいただきました。
三上さんは昨年2011年11月12日に行われた「FBI-2011」には残念ながらお仕事の関係で出席いただけませんでしたが、12月に届いた会報を見て、このお手紙を送ってくれました。
是非、OB・OG全員の皆さんに読んでいただきたく、ご本人の快諾を得て、ここに掲載させていただきます。



〜駒澤大学フォークソングクラブの創立〜


思えば月日の経つのは早いものである。
あの希望に燃えた若き日は走馬灯のように消え去り、気がつけば人生の終盤に入っていた。


先日、会報第8号が送られてきて、第1期から3期のトークショーのところを読み、懐かしく熱いものがこみ上げて来ました。
そこで、創立者として駒大フォークソングクラブの歴史を語りたいと感じたのです。
思えば駒澤大学を卒業してから43年の月日が流れたのです。


クラブ創立の切っ掛けは、当時、流行り出したフォークソング(トム・ドゥーリーや、こげよマイケル等)を歌うブラザース・フォーや、P・P・M、キングストン・トリオが、品があり、斬新に見えたことから、亡くなった第1期の三川君と五十嵐君(旧姓横山)が、“是非、フォークソングクラブを作ろう”と言う話からでした。
駒大軽音楽部にはポピュラー、ジャズ、ハワイアンしかなかったのです。


当時、三川君はハワイアンクラブに所属していました。
その三上君が技術的に上手い奴が居なければだめだと言って、彼の友人、野瀬君を連れて来ました。
野瀬君は他の大学の学生でしたが、当時は駒大生としてコンサート等に参加し、駒大フォークソングクラブの代表バンド「ワンダイム・シンガーズ」で活躍しておりました。
メンバーにはギターに三川君、細田君、ベースに小成君が居り、若い女性に随分騒がれたものです。特に野瀬君のオリジナル「港の見える公園」等の曲が印象的です。

また、もう一つのバンド、私と第2期の斎藤誠、粟島みどり、ベースの石井豊による「ブレッシード・エンジェルス」(神聖なる天使達)のP・P・Mスタイルがありました。その後、同じP・P・Mスタイルで、木村徹君、佐藤君による、技術的に優れた完コピのバンドが生まれました。
他に、五十嵐君と中山君の「アブラハム・トリオ」というキングストン・スタイルのバンドもありました。
創立当時は10数名の会員しか居らず、結成式を銀座の「チボリ」というレストランで行いました。


最初、学校側にはなかなかクラブとして認めてもらえず、部室も無く、練習の教場も取れませんでした。
また当時は応援団等の体育会系が幅を利かし、助成金もあまりもらえませんでした。その上、学生運動が起こり、大波瀾の時期でもありました。

規律をやかましく言ったり、正座等をさせたのは、学校側に見せるために始めたのです。
私自身、フォークソングの精神、自由や愛に、相反する行動をとらねばならなかった事に随分と悩んだものでした。
この矛盾をどう伝えたらよいのか、苦しんでいました。
ましてや二十歳そこそこのガキです。
おかげでだいぶ大人になれた様です。


昭和41年の夏、長野の合宿にて中央大学のフォークソング・クラブと知り合い、夢は途方も無く大きくなり、各大学を集めて、最終的にはハワイでフォーク・ジャンボリーをやろう、などと語り合ったのでした。
そして関東地方に在る大学に、その夢を書いた手紙を出しました。 それが関学フォーク(関東学生フォーク・ミュージック研究会連盟)の原点です。


今、思えば私の人生は幸せでした。
音楽を通し、素晴らしい友人達との出会い、駒大フォークソングクラブは私の人生であり誇りでもあります。今もクラブの延長とも言うべく、横浜関内でライブハウスをやっています。
もう31年にもなりました。
永い間、よくやってこれたなと思います。
これもフォークソングクラブのおかげだと、自負しております。
また、クラブのOB,OGの皆様と楽しい語らいを持ちたいと存じます。


2011年12月 第1期 三上 和夫